西武・巨人・オリックスどのチームでもスターだった…「無冠の帝王」清原和博の栄光を振り返る!

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2月2日から2月3日へ変わる時間帯に衝撃的なニュース速報が流れました。”元プロ野球選手清原和博容疑者逮捕”。
プロ野球のキャンプが始まってわずか1日で全ての話題をさらっていきました。

もはや完全に悪人のイメージがついていますが、スーパースターとして輝かしい成績を残した選手であることは紛れもない事実です。

そこで今回はあえて選手時代の素晴らしい活躍を振り返ってみたいと思います。

高校時代〜甲子園は清原のためにあるのか?

1983年名門PL学園に入学し1年の時から4番を任され初の甲子園大会で23打数7安打1本塁打5打点の成績を残しチームを優勝に導きます。

この時から桑田真澄投手とKKコンビとして注目を浴びます。

甲子園での成績は通算26試合、91打数40安打13本塁打29打点と圧倒的な数字です。 13本の通算本塁打は30年以上経った今でも破られていません。

高校時代出場可能な5回全ての甲子園に出場しチームし優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回と文句なしのスターとなります。

3年の夏、清原にとって最後の甲子園の決勝対宇部商業戦6回裏に同点となるバックスクリーンへの本塁打を放った時実況が伝えた「甲子園は清原のためにあるのか」のセリフは今でも語り草となっています。

西武ライオンズ時代〜怪物ルーキーと呼ばれて

甲子園での実績、そしてスター性に注目され6球団がドラフトで1位指名をします。西武、中日、阪神、日本ハム、南海、近鉄です。

憧れていた読売はなんと桑田を1位指名し、清原が涙したことは誰もが記憶に残る場面でしょう。

抽選の結果、西武ライオンズが交渉権を獲得し西武ライオンズへの入団が決まります。

入団1年目から打率.304、31本塁打、78打点と抜群の成績を残し新人王を獲得します。

この時の31本塁打は高卒新人の最多本塁打記録として今も残っている記録です。

常勝西武ライオンズの一員としてチームの黄金時代を主軸として支えます。

毎年当然のように好成績を残しますがタイトルには恵まれずいつしか”無冠の帝王”というありがたくない称号がファンの間でささやかれるようになります。

そして1996年にFAを宣言し憧れであった読売ジャイアンツへ移籍します。

読売ジャイアンツ以降〜思うような実績は残せず

憧れだった読売ジャイアンツに移籍した初年度の1997年に32本塁打を放ち、読売ジャイアンツとしては1988年原辰徳以来の右打者で30本塁打以上という成績を残します。

しかし、期待が大きかったためかファンからはブーイングを浴びてしまいます。この年チームは低迷し清原はプロ入り後初めてのBクラスを経験します。

翌1998年は23本塁打を放ちプロ入りから13年連続20本塁打以上という日本記録を達成します。

その後は怪我もありなかなか思うような成績を残せず、2005年オフには戦力外通告を受けオリックス・バファローズへ。

オリックスでは期待されていた活躍はできませんでした。そしてプロ通算で打率.272、2122安打、525本塁打という素晴らしい実績を残し惜しまれるように2008年に引退しています。

さいごに

野球人清原和博が残した成績は高校時代、プロ入り後とすごいものがあります。常に最大限の努力も少なからずしていたことでしょう。

つい最近、名球会ベースボールフェスタではミスターこと長島茂雄氏に激励の言葉を頂いたばかりなのに、残念で仕方ありません。

しかし生涯プロ野球界に残した記録は偉大なものであり、今後も語り継がれていくでしょう。


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